ワン・カットを装うサスペンスなら、まずはヒッチコックの『ロープ』('48)。
登場人物の背中のクロース・アップを利用して繋いでいたことは知られる。
ワン・カットにこだわる理由は?
臨場感を途切れさせない脚本に自信があるなら不要ではないかとも思えるが、
本作を観るとその効力に納得する。
始まりが終わりを暗示するストーリーであるから。
すらりとしたブロンド美人が登場する。
ある悩みを抱えるこの女の言動が何処か奇妙であると観客は気づき、
間もなく白人至上主義者の会合へといざなわれてゆく。
”Birds of a feather“という言い回しがあるが、
一次会のあと、大事に発展しそうにないメンバーが残ることとなる。
自分の不遇を人種間問題とすり替えた、単純な動機をもつ女たち。
シリアスな”racist“は退陣。これもトリックめいている。
堰を切ったように繰り広げられる、身の毛のよだつような仕打ち。
カット割がないことが、これほどまでにおぞましさを増長させるとは!
中国系アメリカ人を母に、ブラジル出身の父をもつ
ベス・デ・アラウージョ監督の仕掛けた罠に嵌まり込む。
衝撃のラストすら、真の救いに繋がるはずはない。
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