大橋美加のシネマフル・デイズ
1993年 フランス・スイス合作映画 ジャン=リュック・ゴダール監督
(Hélas pour moi)
『勝手にしやがれ』(’59)でゴダールに夢中になった映画ファンは
数えきれないはずだが、
1990年代に及んでも夢中でい続けた映画ファンを数えることは難しい。
映画という芸術の”かたち”から、あまりにも離れてしまったから。
亡き我が父・巨泉がジャズという音楽について語っていたことと響き合う。
「イントロがあってテーマが始まり、そのあとはコード進行に則ってアドリブを
繰り広げていく、それがジャズであったはずなんだよ」と。
’90年代以降のゴダール作品は、いわばフリー・ジャズのようなものか。
観客に理解でなく、感覚の呼応だけを求めたのか。
それとも、何も求めなかったのか。
本作で映し出されるのはレマン湖畔の美しい風景。
一組の夫婦に起こったという事件を調査に来る探偵、答える人々。
”水”の占める割り合い多し。
湖水から小舟で戻ったジェラール・ドパルデュー扮する夫は、
神が乗り移ったかのような言動を示す。
”オンディーヌ””ローレライ”などなど、”水”にまつわる名をもつ女性が見え隠れ。
クロース・アップ好きにもほどがあるショットの数々。
ドパルデューの巨大な鼻、ロランス・マスリアの縮れた赤毛が、
ミノタウルスや牧神をも連想させる。
そして、雷鳴とも列車の轟音とも受け取れる、耳を劈き不安を煽る効果音!
淀川長治先生いわく「ワン・シーン、ワン・カットに、
あらざる意味を己で作る楽しさにふけるがよい」と。
確かに’60年代の名作群にも、観客を試す部分は存在した。
ゴダールへの追悼を込めて、’90年代以降の作品を観かえしてみようか・・・。
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